2021-05-27 第204回国会 参議院 内閣委員会 第22号
盲学校を卒業して、大学に行って、一般の企業に勤め、頑張って働いている人もおられます。 ですが、圧倒的多数は伝統的職業であるあんまマッサージ、はり、きゅうの仕事をしています。かつては病院や特別養護老人ホームなどで安定的に働けていました。自宅開業も生活が成り立っていました。西暦の二〇〇〇年でした。
盲学校を卒業して、大学に行って、一般の企業に勤め、頑張って働いている人もおられます。 ですが、圧倒的多数は伝統的職業であるあんまマッサージ、はり、きゅうの仕事をしています。かつては病院や特別養護老人ホームなどで安定的に働けていました。自宅開業も生活が成り立っていました。西暦の二〇〇〇年でした。
一年ぐらいのときに、一年ぐらいたったときに、親も考えまして、盲学校に移っていい、転校したということがございました。盲学校に行きましたら、その子は自分で、一人で歩くぐらいの視覚障害だったものですから、全盲の子たちの手を引いて一緒に歩いたり、クラスの中心になって非常に明るい元気な子になったという、こういった経験がございました。
資料の一枚目なんですが、これは一年半前の朝日新聞、地元の山梨版の記事でありますが、山梨県立盲学校での盲聾児教育、デジタル化という見出しのものであります。 そして、資料の二枚目は、大変手前みそで申しわけないというか恐縮なんですが、写真は私の母です。
さて、私の自己紹介的なことなんですけれども、私は、沖縄で一九五六年に生まれまして、十五歳まで沖縄の盲学校で学んできましたけれども、それ以降、一九七二年に東京に十五歳で出てきました。
そして、山城参考人には、盲学校でこれまで通学されていたということなんですけれども、例えば同じ校舎の中で一緒に学ぶとか教科によって一緒に学ぶということ、目の見えない子供と目の見える子供と一緒に学ぶ機会、そういったことも、私は心のバリアフリーを子供のときにそういう心を養う土壌になるんじゃないかなというふうに思いますが、その点についてお伺いしたいと思います。
その森敦史さんは、筑波大附属盲学校で学び、そして、恐らく日本初、場合によっては世界初だと思うんですが、先天性盲聾者として大学に進学をしました。ルーテル学院大学。私は、ルーテル学院大学は英断をされたなと思います。彼の入学に当たっては、当然ながら多くのサポートが必要になります。手話通訳、手話といっても目が見えませんから触手話です。手話を手でさわりながらコミュニケーション、通訳をする。
ちなみに、大臣の地元にも八王子盲学校、寄宿舎がありますけれども、宿泊は平均週に二・七日という話でありました。 私が手にしました東京都寄宿舎連絡会の要望書を見ますと、原因はどこにあるかというと、職員、マンパワーが足りなくて希望宿泊数が認められていないということなんですね。そういう家庭がたくさんあるということでございます。保護者からは、職員をふやしてくれという要望があります。
ですから、八王子盲学校もありますし、ぜひ保護者や関係者の話を聞く機会を大臣御自身も持っていただきたいというふうに思いますが、いかがですか。
この〇・一五以下という数値は、試験時間の延長の仕組みを導入した昭和六十三年度の試験の際に、当時の学校教育法施行令における盲学校への就学基準が両目が視力が〇・一未満のものとされていたことを参考にしつつ、視覚障害、聴覚障害、肢体不自由等の専門家で構成する委員会において決定したものだと承知をしております。
私も一番心配しているのは、じゃ、聾学校だったら聾者の先生、今度、視覚障害をお持ちの盲学校だったら視覚障害の先生みたいな形でカテゴライズされてしまうのも、これはもってのほかだと思うんですけど、その辺りしっかり進めていただけることなんでしょうね。一般学校におきましても、普通にそういった障害をお持ちの先生方も活躍いただける環境を提供いただけるんですよね。
本会議でも言いましたが、私の母は、山梨県立盲学校で全盲聾教育の生活支援に当たり、そして今、六十年たった現在でも就労についています。もちろん、企業や公務部門で働ける方、雇用される方もいれば、なかなかそういう部門で働けない方にとって、やはり社会参加、自立という観点で、この調達に我々一人一人が自覚をして取り組んでいくことが大変重要だ。
○田中参考人 視覚障害者の場合で考えますと、やはり盲学校で要望したいのは、情報提供。これを、父母に対してもそうですが、やっていただきたい。それで、自分はどういう進路がいいのか、そういう基礎となる情報提供をまずやっていっていただきたいというふうに思います。
岡崎盲学校の同窓会の方が、ことし三月末に、岡崎郵便局に点字用の郵便の集荷をお願いしたところ、上層部の指示で集荷は行わないと拒否をされたという御相談でございました。 昨年の質問の際に、当時の野田聖子総務大臣からは、今回、日本郵便からは、障害者及び高齢者の方が差し出す郵便については引き続き集荷を継続するというふうに聞いている。
そして、視覚障害者の、盲学校の同窓会ですから、視覚障害者の方が外出ができないというか、かなりの困難を抱えておられるということですので、ぜひ集荷、引き続きやっていただくというのが当たり前だと思いますけれども、御見解をお願いしたいと思います。
ヘレン・ケラー女史と同様の全盲聾児に対する教育体制を整え、昭和二十年代後半、日本で初めて盲聾教育を実践したのが山梨県立盲学校です。当時、二人の全盲聾児の生活支援に携わった私の母は、寝食をともにし、気の遠くなるような地道なお互いの努力から信頼を生み、指文字を通して意思疎通が可能となりました。約六十年後の現在、二人は施設で穏やかな生活を送り、所内で作業にも従事をしております。
また、先週の文化財保護法改正案の質疑でも触れさせていただきましたが、和歌山県立博物館や和歌山県立工業高校、盲学校などが連携で取り組んでいる、未来へ守りつなげる和歌山プロジェクト、和歌山わかもの・文化財守り隊、国内外でも珍しい視覚障害のある方が触れられるレプリカを3Dで作成、また、さわって読む図録を作成している、このような貴重な取組。
宇野参考人は、学校図書館、大学図書館、公立図書館の多くは、年会費四万円という問題があってサピエにつながっていないと、視覚障害教育の専門機関である盲学校でさえサピエに加入できていないところもあるというふうに指摘されております。
具体的な取組の一例として、和歌山県立博物館が文化財の寄託を受けて、地元の工業高校や盲学校等の生徒がその文化財の複製、レプリカを製作して地元へ提供し、先ほども見せていただきましたけれども、これは大変喜ばれているというふうに伺っております。
先日ですけれども、五月の七日の月曜日、和歌山県の県立博物館、教育委員会、また和歌山県立工業高校、盲学校、そして大学、市町村関係者が地域の総がかりで文化財を保存そして活用するという仕組みを視察してまいりました。
学校図書館については、盲学校でさえ、年会費四万円の問題もあり、サピエに加入できていないところもあります。また、文部科学省はインクルーシブ教育を推進していますが、地域の学校に在籍する障害児の読書環境は特別支援学校よりも更に手薄になっていると言えます。
そのことを教訓に、毎年五月に、埼玉盲学校と言っていましたから、埼盲交通安全の日というのをやる。そこのところに、五、六年前からJR東日本の人が来る、あるいは東武鉄道の人が来るという形をする。あるいは、塙保己一学園の生徒たちが西武鉄道の車両工場に行って、実際にホームの下におりてみて、ホームまではこの高さがあるとか、あるいはホームに身を寄せればいいとか、そういうことを実際に学んでいる。
なので、例えば、先ほどの私が申し上げました埼玉県の盲学校、塙保己一学園の学校と事業者の交流というのはとてもいいケースになっているのではないかと思っています。 以上です。
まず一点目の、先生の御質問の教科書の関連の部分ですが、きょうはちょっと資料を確認してきませんでしたけれども、もう何年か前になるわけですが、統合教育を受けている人たち、すなわち、盲学校とか聾学校ではなくて地域の学校に就学している子供さんたちが、その学校で教科書を手に入れようと思うと、ボランティアの方々が、あるいは親御さんたちが紙媒体を、例えば教科書でいうと、五人で点訳するためには、それをちぎって五人で
また、盲学校の就学基準も、学校教育法施行令に規定がありますが、おおむね〇・三未満とされています。つまり、盲学校に在籍して障害者手帳を持っていても、視力が〇・一六以上あれば、試験において時間延長が受けられないという現実があります。 実際の教育現場では、たとえ視力が〇・二あっても、視野などの関係でなかなかすらすら文字が読めないという弱視生徒は少なからずいるのが現実です。
先生も、学校で、盲学校の子供たちって国会見学していただけるんでしょうかという話が一つ。本当に私は大きな疑問に思っております。聴覚障害を持たれた皆様方も、文字を、声を文字にしてもらえるような、そういうタブレットがあるんですけど、それは持込禁止なんですよ。でも、手話で一生懸命衛視さんが練習していらっしゃるんですけれども、中途失聴者の方は手話分かりません。
ちょっと蛇足になりますが、盲学校という学校に弱視生徒が入れるのを知らなかったとか、点字図書館に点字以外の録音図書が貸し出されているのを知らなかったというような誤解も世の中にはあったりしますので、やはり体を表す名前というのは大事だなというふうに思っています。 以上です。
○杉田委員 視覚障害者の方々というのは、先天性で目が見えない方、生まれつきずっと目が見えない方という方がいらっしゃって、そういう方々は、学校に行くときも、特別支援学校というか盲学校というか、そういうところに行かれると思います。
盲聾児に対する教育、これは、今特別の教育機関はございませんので、盲学校、聾学校、特別支援学校に在籍をしているそういう子供たちを、担任になった先生が、いろいろと戸惑うこともありながらも、それぞれ工夫をして教育に取り組んでいただいているわけでございます。 この盲聾児の数自体余り多いわけではございませんけれども、非常に重要だと思います。